日本語学校「TSUBASA」

日本語学校「TSUBASA」

ベトナムのファンラン (ベトナム中南部の都市)近郊にあるヴィン副理事長のお宅を改造させてもらい、待望の学び舎「つばさ」の校舎が完成しました。

Youtubeの映像は竣工式の様子です。夢と希望に満ち溢れた子供たちの笑顔をご覧ください。

私たちの目指す学校とは

私たちはベトナムとカンボジアの若者たちに日本語を学ぶ場をつくり、日本語を活かして安定した生活ができる手助けをすることで、日本とのかけ橋になってもらいたいと考えています。日本語を学ぶ若者たち、そして関わる人たちが笑顔になれる活動を目指しています。

経済状況を理由に勉強を諦めていたり、親の期待を一身に受けて必死に勉強して大学に進学しても働く場所がなく戻ってきてしまったり、と安定した生活をすることが困難な状況に置かれている人たちがいます。

日本語を学ぶことで
・日本に興味を持ち
・将来日本とつながる仕事ができる
・学んだことを自分の国で活かす
など、彼らが安定した生活を送るための手段を、できるだけたくさん作っていきたいと考えています。

日本語学校「TSUBASA」では、現在NPOで日本語を学んだ3人の先生たちが日本語を教えています。彼らが自立できる一つの場所が「学び舎つばさ」でもあります。

現在は日本人が協力をしながら運営をしていますが、いずれは自分たちで運営ができるようになることを目標としています。その第一歩として、みんなで相談をして「今の自分たちができる事」を始めたようです。
・楽しい学校になるように、みんなで花壇を作ったり
・ゴミの分別について学びエコ活動を実行したり
・地元企業のご好意で本やノートをいただいたり
・日本で研修してベトナムに戻った先輩たちが寄付をしてくれたり
・・・などなど。
地元の若者たちが、自分たちで考えて行動をしています。
日本語学校「TSUBASA」の生徒たちに、思いやりや優しい気持ちも伝わっていきますね。

なぜ日本語学校なの!?

すべての始まりは、人と人との「縁」でした。

NPO結成以前から理事長が個人的に活動してきた中で、先住民族チャム族の人たちとの関わりがありました。

チャム族の人が住んでいる場所は、ベトナムだけでなくカンボジアにもあることが分かっていますが、活動の中で関わっている多くがファンランの村出身であることから、第一号の学び舎はファンランの村に作ることになりました。

ベトナムは、ハノイとホーチミンが大きな都市で、物価も地方に比べて都市の方が高く、そこに経済や教育機関が集中しています。

ファンランはホーチミンから飛行機で1時間近くかけてニャチャンと言う街まで行き、更に車で2時間ほどかかるところです。 ファンラン自体はキン族の住民が多いですが、その周辺にチャム族の人たちが多く住む村が点在しています。

最初に学び舎を作ったフクニョン村は土地も豊かとは言い難く、決して恵まれているとはいえない地勢にあります。 少し前までは、家の手伝いをするために小学校の上級生になると学校に通えなくなるという子どもたちもいたと聞きます。

2012年の 国際連合教育科学文化機関UNESCO(United Nations Educational, Scientificand Cuitural Organization) の統計によると、ベトナムの大学進学率は24.5%、卒業後に自己の専攻に就職できる人は約10%で、卒業後に新規で就職できない人も少なくないと言うのが現状です。

特にチャム族の人たちの就職率は大学卒においても、更に低いものとなっています。 大学で様々な専門知識を学習しても、田舎に帰って、結局家の農業などの家業を手伝ったりする現状もあるようです。

日本語を覚えることは生きていく上での武器となります

ベトナムには既にいくつもの日系企業が進出しています。 ホーチミンでは、日系企業による地下鉄の工事が2018年開業を目指して行われています。 国家の政策として、高速道路や新幹線の導入の方向性も示されています。 日系企業のベトナム人社員の給料は現地の企業に比べれば、数倍にもなると言われています。 一方、ベトナムには世界遺産もたくさんあり、日本人による観光客も増加しています。 観光事業も今後ますます盛んになると予想されています。

つまり、ベトナムの人たちが「日本語を覚えて日本語が話せる」という事は、生きていく上での一つの武器となります。 これはベトナムの人たちにとっても、日本語を学ぼうとする大きな動機付けとなることでしょう。

日本への研修生や留学生の増加を見ても、ベトナムの国で日本語を学ぶことの意味が明らかになってきていると言っても良いでしょう。 NPO結成以前から関わってきた研修生たちの日本語学習に対する真摯さ、ひたむきさに出会えたことも、私たちがベトナムに学び舎を作る大きな要因となっています。

そして、チャム族の多くがベトナムとカンボジアにも住んでいます。チャンパ王国が栄えた時代に多く住んでいた民族たちが国境がなかった時代に移り住んだり、国を追われてカンボジアへ逃げていったという歴史もあります。

ベトナムやカンボジアの人だけでなく、諸外国の人たちも興味を持つ日本。異文化を若くして学ぶことも、人の成長としては意味があることだと考えます。

なぜベトナムの田舎に!?

2016年に開校した日本語学校「学び舎つばさ」のあるベトナムの村は、ファンラン(ベトナム中南部の都市)近郊にあります。

ベトナムは多民族国家で、54の民族からなっています。 多数派は、人口の8割以上を占めるキン族と呼ばれる歴史的には中国由来の人たちです。

ファンラン近郊は、チャム族と呼ばれる原住民が多く住んでおり、チャムの人たちは、伝統的な祭祀や織物、衣装、チャム語など独自の文化を持っています。
また、チャムの人たちの宗教は、バラモン(ヒンドゥ)、バニ、イスラムです。バニは、土着の宗教とイスラムが融合したような宗教です。
日本でたとえるなら仏教(世界宗教)と神道(日本固有)が一緒になった(お寺の中にお稲荷さんがある)感じです。チャムの人たちは、インド文化の影響を強く受けています。

カンボジアのアンコールワット(ヒンドゥ文化)と共通の要素を持つミーソン遺跡などもチャム文化です。

ベトナム南部は2世紀頃から17世紀頃までチャム族の支配するチャンパ王国が栄えていました。 日本とも関係が深く、14世紀から15世紀にかけて琉球王国を通じて盛んに交易も行われています。

チャンパ王国の末裔である誇り高きチャムの人たちですが、伝統的には母系社会で、代々家は母から娘へと 継がれていくようです。
男は婿養子状態で、結構家では小さくなっているそうです(日本語を習っているチャムの人に聞きました)。
ベトナムは社会主義という事もあり、元々女性の存在感の大きい国ですが、チャムの社会は格別のようです。

食べ物(特に肉類)についての宗教上のタブーは、イスラムはある程度厳格ですがその他は結構緩いです。
牛肉は高価なので、魚をよく食べるそうです。果物が安くしかも美味しいとのことです。

日本での在留ベトナム人は、99,865人(平成26年法務省)で、前年比38,2%増と益々日本との関係が深くなってきています。
また国民の平均年齢も20代後半と若く(高度経済成長期の日本)、これからどんどん発展する国です。ベトナムは
治安がよく、気候が温暖な親日国なので日本人には訪問しやすい国ではないでしょうか。